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工夫はほどほどに
2007-10-27 03:10
仕事帰りの電車内で、ふと目に留まった吊り広告。

今週のヤングジャンプの広告。

水着を着たグラビアアイドル。

その子の名前は、「谷桃子」。



もし本名なら親御さんには申し訳ないが、芸名だとしたら、そこに恣意的な卑猥さを嗅ぎ取ってしまうのは僕だけだろうか。

同志はいるか。







さて、いま読んでいる本。

「なぜ夜に爪を切ってはいけないのか 日本の迷信に隠された知恵」/北山哲(角川SSC新書)

内容は表題が語ってくれているので省略するが。

なぜかこんな本を読んでいる。



まず、率直に、これほど多くの迷信・俗信が多い国は他にないのではないかと驚いた。

そこを起点としてあれこれと思考をめぐらせていくと、沸々と湧き上がるのは愛国心。

そのことを語る気も、時間も、根気もないが、中には「なにそれ!?」と少し笑えるものがあるので、今回はそれを紹介したい。






「同じ年の仲間が死んだら耳をふさぐ」という迷信が日本にはあるらしい。

これだけでも若干面白いが、これが地方によってさらにバリエーションを増やされていて、それがさらに面白い。

それを紹介する前に、せっかくだから、この迷信の説明を簡単にしておこう。



まず、なぜ同じ年の仲間が死んだら、耳をふさがなければいけないのか、ということ。

ここには、日本社会で営々と築かれてきた「村」単位の共同体意識が関係しているらしい。

かつて、「村」の中では、子ども組、青年団というように、年齢や役割に応じて集団生活に必要な行事を行っていた。

同年齢間の絆は、現在よりも遥かに深いものだった。

こうした生活基盤の中で、同じ年齢の人が死を迎えた時に、自分にも死が迫っている時期かもしれないと、大きな動揺を抱く。

そこで、仲間の死をシャットアウトしようとして生まれた風習が、「耳をふさぐ」というわけ。



風習自体がもともとそうなのか、著者の説明が悪いのかはわからないが、何とも強引な気がする。

そもそも耳をふさぐ前に聞いてしまってるし、いつまでふさいでおけばいいのかということもあるし、仲間に対して薄情な感じもある。



しかし、前述の通り、この迷信は地方によって違った形で伝えられている。

ある地方では、「餅で耳をふさぐ」という風習があるようだ。

なぜ餅なのか。

それは、餅が正月を祝う食べ物であることが関係している。

つまり、カレンダーを早送りして、死んだ仲間よりもひとつ年上であることを装うのだ。

サバを読むのだ。

ていうか、誰に向かってサバを読んでるのだろうか。

誰を騙そうとしているのか。

神様か。

それなら、むしろ罰当たり。

ま、単に耳をふさぐよりかは工夫が見られるので良しとしよう。



さらにこれにもうひと工夫施した風習がある。

「餅を耳に押し当ててから川に流す」。

都合の悪いものは遠ざけてしまおうというわけだ。

それなら、できるだけ上流に住みたいものだ。

でも、海を生命の源として崇め、そこへ通じる道である川を重要視した先祖にとっては、たいへん理にかなっているだろう。

なかなか良い工夫ではないか。



さて、「Simple is the best」という言葉がある。

今回のテーマに横文字は不適当かもしれないが、これは世界共通で言えることではないだろうか。

何事も、凝りすぎは良くない。

工夫を重ねたあまりに、結果チンプンカンプンな仕上がりになってしまうことはよくある。

その良い例が、この迷信にもある。

ある地方で伝わる、同じ年の仲間が死んだときに行うこと。



























































「耳をふさいだ後でそら豆を炒って盆に載せて近所に配る」。




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