この前書いた例の家、撮ってきました。 右に見えるのが、老婆が立っていた門です。  話はがらっと変わって、今日、へぇ〜って話を聞いた。 みなさんは、台風とハリケーンの違いって知ってますか? いきなり答えですが、全く同じものです。 何となく予想はついたかと思うけど…。 しかし、ここからもうひと盛り上がりあるんです。 「台風」は英語で「typhoon」。 「hurricane」ではありません。 「hurricane」は日本語で「ハリケーン」。 「台風」ではありません。 つまり、全く同質なものを、2つの異なる視点で捉えているわけです。 では、なぜこのようなややこしいことが起こっているのか。 まず、こちらをご覧ください。  これは27日9時現在(日本時間)の雲の様子です。 右端中央に渦を巻いたまとまった雲が見えます。 これは「ハリケーン(=hurricane)」です。 しかし、このあと(今夜あたりか?)「台風(=typhoon)」になる可能性があります。 ここらで、全貌を明かそうと思います。 実は、東経180度線(日付変更線)の東側で発生しているものを「ハリケーン(=hurricane)」といい 西側で発生しているものを「台風(=typhoon)」というのです。 では、どうしてこのような呼び分けがされているのか。 それは、「ハリケーン(=hurricane)」はアメリカ大陸に被害を及ぼす恐れのあるもの 一方、「台風(=typhoon)」は日本列島に被害を及ぼす恐れのあるもの という定義がされているのです。 そこで、その境界線を便宜的に東経180度線(日付変更線)に置いたわけなんです。 先の画像では、雲の塊が東経180度線(日付変更線)にまたがっていますが 目がその東側に位置していることから、「ハリケーン(=hurricane)」としています。 「ハリケーン(=hurricane)」が「台風(=typhoon)」に変わろうとしている、珍しい画なんです。
今、シュレッダーの安全性をめぐって、あれやこれやと騒がれてますけど はっきり言って、騒ぎすぎ。 逆に、保護者の監督が甘すぎることに対して騒ぐべき。 事故の責任は、一切メーカーには無い。 シンドラー社とかプールの排水溝の事故とごっちゃになってるように思える。 ぜんぜん違うぞ! 紙の投入口の幅が、幼児の指の太さよりも広いことが駄目って言うてるけど それを言い出したら、子供の指が入るような危険性のある物なんて、他に山ほどあるぞ。 例えば、ある子供が車に乗る時に、ドアに指を挟んで大怪我をした。 こんなことってよくあるんちゃう。 そしたら、その親は、子供の指が挟まる程ドアが開くからあかんねん!って言うんか? おそらく、そんなクレームをつけた親は過去にはおらんやろ。 おったとしたら、たぶんそいつは車のドアに頭挟んだことがあるんやろう。 安全を突き詰めていくと、その物は全く使いもんにならんくなる。 便利な物を作ろうとすれば、それなりに危険性も持ち合わせてしまう。 かといって、便利ならどんなに危険でも良いってわけじゃなくて そこは、ユーザーの適切な使用と、メーカーの配慮ある設計のバランスでやっていくしかない。 けど、今回のシュレッダーの件は、一方的にメーカが叩かれてる。 シュレッダーの口は、ある程度幅があったほうが効率的に紙を処理できるし 問題になってる8ミリ(やったっけ?)っていう幅は、そんなに安全性に無頓着な設計やとは思わん。 子供の手の届かないところ云々のステッカーも貼ってあった。 てか、注意を喚起されるまでもなく、小さい子がおる親なら置き場所やら色々と工夫してしかるべき。 親が悪い! このことで、メーカーも口の幅を狭くするとか言うてるけど そんなことしたら、利口なユーザーが使いにくくなる。 少数の(多数かも)アホのために、他のカシコが暮らしにくくなる。 メーカばかりの責任を謳うマスコミは、そんなこともわかっとらんのか。 この理不尽な社会、1回シュレッダーにかけてみてはいかがかな。
家の近所に、めっちゃ古い家がある。 軒先の看板からして、元は薬局やったらしい。 木造2階建てで、屋根から外壁までが草のつるで覆われてる。 完全に人の気配は無く、少なくとも僕がこの地に住み着いた4年強前から住人を見かけたことは無い。 さらに、建物自体も傾いていて、最近、「この建物は非常に危険な状態です。所有者は連絡してください。」というような区役所の張り紙もされた。 しかし、持ち主不在の建物は、そのまま放置され続ける一方。 大地震も予想される中で、それはあまりに危険すぎると、僕も懸念していた。 役所といえども、ひとの家を勝手に取り壊すことはできないだろう。 なら、何かをきっかけに倒壊する日を待つしかないのか。 にしても、区役所が所有者を特定できていないということは、届け出もされていない建物なのか。 と、いろいろと考えてみると、ものすごい不気味な家だ。 今日も、仕事を終え、駅から自宅へ向かう途中にその家の前を通った。 すると、視界の隅にいつもと違う雰囲気を感じた。 ふとそちらに目をやると、例の家の門の中に人の影が見えた。 何かの見間違いかと思ったが、たしかにそこには人が立っている。 暗闇に目を凝らすと、背の曲がった白髪交じりの老婆だった。 雨風で朽ち果てた木の門の内側に、じっと静かに立って、通りの左右を見渡している。 血の気が引いた。 住人か? しかし、今まで1度も見たことは無い。 いったいおまえは誰や!? ぼくは怖くなって、歩調を速めた。 そして、しばらく行って振り返ると、その老婆は右手にビニール袋を提げ門を出て、角へ消えていった。
女の子は歳をとるに従い、恥じらいというものが無くなって いわゆる「オバハン」になってゆく。 しかし、男の子も同様に、「オッサン」となってゆくのである。 若い時分は、己を過信しすぎているのか ミスを犯すという想定はほとんどしない。 しかし、人間=なまもの。 当然間違いは犯す。 若造にも、そんなことは分かっている。 しかし、それを他人に見せまいとする妙な意地がある。 この意地が、歳を重ねるにつれて薄らいでいくのである。 では、その変化はどの時期にやってくるのか。 僕の場合には、ここ1・2年がそうだといえる。 電車の座席に腰かけていて、膝の上に携帯を置いていることを忘れ 降車駅で立ち上がり、床にガラガラガッシャーン。 あの日の僕なら、顔を真っ赤にして 逃げるように電車を飛び出していた。 今は違う。 ゆっくりと拾う。 なんなら、「おっと!」みたいな感嘆詞を添えてみたりする。 通勤電車は定期券で乗っている。 だから、たまに切符で乗ったりすると 改札を出るときに、ついつい券が出てくる穴に手を差し出してしまう。 即座にミスに気づけばいいが コンディションによっては、気づかず2秒ほど待ってしまったりもする。 しかし、この程度のことでは、今の僕はびくともしない。 「あっ、違うわ!」と一言残すくらいの余裕がある。 道の段差に足をとられてもそう。 デパートでエレベーターに乗って、間違って婦人服売り場の階に降り立ってしまってもそう。 コンビニで出した金が足りないことを店員に指摘されてもそう。 決して恥ずかしくないわけではない。 恥ずかしさを他人に見せることが恥ずかしくないのである。 不完全な自分を認められる。 心の揺れを静観できる。 他人にそれをさらけ出せる。 肩肘張らない、ごく自然体な自分をキープできる。 それはとても心地いい。 これを「オッサン」というなら 「オッサン」万歳!!
女の人って、白いパンツとかタイトなパンツをはくときに 下着の線がひびくのを嫌ってTバックをはいたりするけど 下着の線がひびくことの何が嫌なんやろ、とふと思ったりする。 だらしなく見えるから?? 下着のラインが見えてもーたら、ズボンはいてへんのと同じようなもんやから?? 男のいやらし〜い視線がうっとうしいから? と、いろいろと考えてみるけど もしかしたら、彼女らにとってむしろもっと最悪な結果を招いてる可能性があることをここでお伝え申し上げたい。 それは、パンツに下着の線がひびいてへんかったら こちとら男性陣は「おっ、Tバックはいてるんちゃうの〜ん」 って、想像してまうわけですよ。 下着の存在を隠蔽しようとするその行為が むしろ下着の、もっと言えばさらにいやらし〜い下着の存在を顕示してしまうというアイロニー。 ヘタををすると、自制を超えた想像は 「ノーパン」という極地にまで達するやも。 ご注意を。
案の定やね。 靖国神社。 言うときますけど、小泉さんが参拝したことちゃうよ。 それに対する周辺の反応が、案の定ってことね。 前もって断っときますけど、僕は首相の靖国参拝には賛成。 詳しく言えば、反対する根拠が無いから、賛成。 僕が首相なら…、行くね、靖国。 やし、純粋な賛成かもね。 ややこし。 ままま。 ぉおかしやないかぁぁぁぁ! 〜其の壱〜韓国・中国の抗議の意味がわからん。 モメたいだけにしか思われへん。 ただ単に、日本という国が嫌いでしかたなくて、悪態ついてるんが心地えぇだけなんとちゃうのん?? 個人が個人を嫌うんは勝手やけど、 あいつらの反日教育は、一種のマインドコントロールみたいなとこがあって、 「日本人を嫌うべし」を国民の意識に擦り込んでる。 これでは、善良なる一部の日本人がかわいそう。 と同時に、本来なら日本人と仲良くできるはずの韓国・中国人もかわいそう。 植民地政策やら竹島問題やら、今回の靖国問題と反日思想は 卵と鶏のどっちが先かはわからんけど、 仮にすべてを向こうの都合に合わせたところで、 また他の何かを取り立ててやいのやいの言うんちゃうのん。 結局ところ、戦争で酷い目にあったことを引きずって、 未だにカンシャク起こしてるんちゃうやろか。 それはきっと、自分らのためにも良くないように思うけどね。 原爆を2つも落とされて、ボロボロになりながらも、 いつまでもアメリカを恨むようなことはせず、 むしろその惨事から、永久に戦争を放棄するという誓いを立てて、 必死で走り続けたことが、現代に日本を先進国たらしめてるのさ。 先進国たることが良しということでもないけど、 やはり、ある程度のレベルで過去を断ち切ることは、 その国が前進するためには必要やと思う。 地球の歴史は侵略と独立の繰り返し。 今もそれは続いてる。 アメリカもかつてはイギリスの植民地やった。 でも今のアメリカで反英教育なんてやってるやろか。 それどころか、お手手繋いでイラクに出かけはったでしょうが。 アメリカでは独立記念日を国を挙げてお祝いする。 そこで、改めてイギリスが憎いなんてことにはならんやろ。 誰かを憎むんじゃなくて、自分を讃える。 そこから道は開けるのさ。 それが分かってない彼らは、かわいそうなんかもな。 あ、もちろん日本も自らの過去の過ちは忘れたらあかんけどね。 それは大前提。 蛇足というか、惰性というか、 予想以上に長くなってもーたから、 ぉおかしやないかぁぁぁぁ! 〜其の弐〜 は次回に繰り越しまっさ。 ちゅーか、今回も全部出し切ったわけちゃうけど、なんかスッキリしたしもーえぇわ。
地元のなか卯では、いつも有線が流れていて きまってそれがひと昔前のJ−POPのチャンネル。 今日も、お決まりの親子丼+冷やし小はいからに スクラッチカードで当たった、オクラ味噌汁を食べていた。 すると、広末涼子の「MajiでKoiする5秒前」が流れてきた。 こんな曲、すっかり忘れていた。 調べてみると、1997年4月15日発売だったそう。 僕の15歳の誕生日の翌日。 それはさておき…  MajiでKoiする5秒前 作詞・作曲:竹内まりや ボーダーのTシャツの 裾からのぞくおへそ
しかめ顔のママの背中 すり抜けてやって来た
渋谷はちょっと苦手 はじめての待ち合わせ
人波をかきわけながら すべりこんだ5分前
ずっと前から彼のこと 好きだった誰よりも やっと私に来たチャンス 逃せないの
ゴメン!と笑いかけて 走り寄るまなざしに Maji で Koi しちゃいそうな 約束の5秒前
子供じみた趣味だと あなたはからかうけど
ふたりで写すプリクラは 何よりの宝物
かに座の女の子って どこか少し大胆
さりげなく腕をからめて 公園通りを歩く
もっと知りたい彼のこと ライバルに差をつけて
そっと耳もとでささやく "大好きよ"と
恋が始まる予感 あなたも感じるでしょ Maji で Kai たラヴレター 渡すその5秒前
あっというまに日が暮れて さよならの時が来る グッとくるセリフ探して 黙りこんだ
"今度はいつ会える?"と ふいに聞いたあなたが Maji で Kiss をくれたのは 門限の5秒前
Maji で Konya 眠れない 真夜中の5秒前ん〜、よーできた歌詞やわ。 さすが竹内まりやですな。 いや、そんなことが言いたいわけではなく、 僕はこの曲が流れたとたん、食事中にもかかわらず、泣きそうになったのさ。 何やろ。 自分でも何が起こってるんかわからんかった。 何となく、懐かしいなぁと思った直後の出来事。 情緒不安定やったわけでもない。 あの頃に帰りたいわけでもない。 特別な思い出があるわけでもない。 ただ、単純に、懐かしいなぁと思っただけ。 こういうことがたまにある。 不意に懐かしい曲を聴いて、泣きそうになることがある。 この場合、大体が(当時の)アイドルの曲。 別に、アイドルオタクやったわけでもなく、ま、適当に好きやった程度。 ただ、ここ最近のアイドルの曲では、こんなことにはならん。 特に、中学時代の曲、こいつがヤバい。 思春期ってとこがミソなんかなぁ。 とりあえず、「90年代後半」の「アイドル」の曲がアブナイ。 <追記> CDのジャケット、ボーダーのTシャツ着とかなあかんやろ。 あと、なか卯のオクラ味噌汁美味しいヨ
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